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難波一族記【1】~経遠編~ 第三章 栄華

3.栄華 「忠盛殿、此度の海路ですが、こちらの航路がより安全で到着も早かろうと」経遠は熟考を重ねた結果を忠盛に伝える。 経遠と経房は忠盛の傘下に入っていた。 忠盛に西方の海賊討伐を命じていた白河法皇は忠盛に命じて間もなくの七月七日に崩御するが、経信は次男・経遠、三男・経房を平家に遣わす事と引き換えに難波家の吉備の穴海の支配権を保持するが得策と考えていた。 経遠、経房も平家の圧倒的な力に感服し、人が変わったように平家の忠臣として仕えるようになっていた。 保延元年(一一三五年)に忠盛は中務大輔に任じられるが、平家も鳥羽上皇が推進する日宋貿易に力を注ぐべく思案していたが、瀬戸内にのさぼる海賊たちが邪魔で大きな問題となっていた。 この海賊討伐に難波兄弟は大いに尽力・活躍し、降伏した海賊たちは次々と平家の傘下へと降っていった。これにより海賊行為を行うものは皆無となり平家の海事は難波家にすべて託され、絶大の信頼を得るようになった。 これを機に経遠は平家の侍大将を任されるまでになっていた。 「難波殿、此度の活躍殊勝であった」経遠が振り返ると武骨な体躯をした武者がいた。この武者、名を瀬尾兼康と言う。経遠同様に平家の侍大将を任されている男である。この男は備前の西・備中真備の御仁である。こちらは武骨な体を活かした戦働きが得意な男であった。 海事は備前・難波、陸事は備中・瀬尾。 平家ではこのように認識されるようなり、平家内でも絶大な力を保持するようになっていく。 平家としても忠盛は仁平元年(一一五一年)に刑部卿となり、絶頂期を迎えてた。 しかし、仁平三年(一一五三年)、念願でもあった公卿への昇進を目前として死去。忠盛、時に五十八歳のことであった。 この忠盛の死去を機に忠盛の長男である清盛がいよいよ平家の実権を握ることとなる。 ※この物語はフィクションです。

難波一族記【1】~経遠編~ 第二章 出会い

2.出会い こんな事があるのか、暗黒が広がる暗闇の嵐の夜、未だ嘗てみたこともないような大きな波に襲われて自分達の船が次々と飲み込まれていく。たちまち海の藻屑と消えていく・・・。まさに悪夢であった。 難波四郎経信は目覚めると夢と分かって安堵したのと同時に、侍女に茶を持って来るように促し、なぜこんな夢を見てしまったのか・・・と昨夜の夢を思い出していた。 経信は『今までちと強引に勢力を延ばし過ぎたか?恨みをかっておるのかのう・・・』といつになく弱気な事を呟いていた。 現在、経信は備前目代を務めており、この備前地区の代表的な存在であった。 また一族でかの吉備津彦神社の社司をも務めており、吉備津彦神社の目の前に船着場を築いて、この海域の難所を渡る際の守り神として通行する際は立ち寄ってお布施をする事を慣習とさせていた。そんな事もあり、この吉備の穴海を想いのまま牛耳り、莫大な資金を得てこの海域を中心として著しく繁栄していた。 しかし、最近はというと体も衰えそろそろ息子達に家督や家業を継がせようと考えていた。 幸いな事に経信は三人の健康な男児に恵まれていた。長男・太郎経友。次男・次郎経遠。三男・三郎経房。『何れが継いでも安泰であろう。だが次郎、三郎は少々気が荒すぎる。やはり長兄の太郎が心穏やかできめ細やかで長く家が繁栄するだろう』などと侍女が持ってきたお茶を飲みながら想いを巡らせていた。 まあ柄にもなく、こんな弱気な事を考えておるからあんな夢を見たのだろうと気に留めない事とすると安堵したのか再び眠気を催し笑みを浮かべもう一眠りする事にした。 それから数日の事であっただろう。 経遠、経房がいつもの通り、海へ出て回遊し、この海域を通る船を吉備津彦神社へ向かうように誘っていると、今まで見たことがない様な巨船が大量に押し寄せてきた。 『兄者、大変だとんでもない数の船が押し寄せて来てるぞ!!』、『あの数は只者じゃねぇぜ。ましては俺達の停船命令を無視して突き進んでくる。どうする?』っと経房。 『いつもの様に知らしめてやるかの。撃退あるのみじゃ!!』っと勇んで経遠。 しかし、集団の巨船からの攻撃にこの海域を知り尽くした兄弟も苦戦を強いられ、 『これは一大事じゃ。早く親父や兄者に伝えねば・・・』と兄弟は命からがら逃れるのに精一杯であった。 やがてこの巨船は吉