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難波一族記【1】~経遠編~ 第十四章 讃岐への舟

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  14.讃岐への舟 京で敗者への処断が続く頃、備前にも保元の乱の知らせが届いていた。 吉備津彦神社の境内で、経信は京から届いた文を静かに読み終えた。 差出人は次男・経遠であった。 「父上。次郎は何と?」 傍らにいた長男・経友が尋ねた。 「二人とも無事じゃ」 経信が答えると、経友はようやく表情を緩めた。 「三郎もか」 「ああ。相変わらず無茶をしたようじゃがな」 経信は苦笑した。 文には、経遠と経房がそれぞれ郎党を率いて戦ったこと、瀬尾兼康とともに平家の軍勢を支えたこと、そして戦が終わった後にも多くの命が失われたことが記されていた。 だが、最後の一文だけは重かった。 ――崇徳上皇、讃岐へ御配流。 経友は瀬戸内の方角へ目を向けた。 やがて、港から戻った者が知らせをもたらした。 上皇を乗せた舟が都を離れ、瀬戸内を西へ進んでいるという。 「帝であられた御方でさえ、戦に敗れれば故郷を離れねばならぬのか……」 経友が呟いた。 経信は答えなかった。 この海を、難波一族は長く見てきた。 交易の舟も、平家の軍船も、海賊の舟も通った。 だが今、その同じ海を、敗れた上皇の舟が讃岐へ向かっている。 「太郎」 「はい」 「次郎と三郎に返事を書こう」 経友は筆を取った。 経信はしばらく考え、ゆっくりと言葉を続けた。 「戦に勝ったことは喜ばしい。されど、勝ったからとて驕るな、と」 経友が筆を走らせる。 「それから――」 経信は、境内の向こうに広がる吉備の山々を見渡した。 「何があろうとも、難波の家には帰る場所がある。そう書いておけ」 経友は父の顔を見た。 やがて小さく頷き、その言葉を文に記した。 京では、経遠と経房が武士として生きている。 備前では、経信と経友が家を守っている。 戦場へ出る者と、帰る場所を守る者。 どちらが欠けても、一族は続かない。 その日の夕刻。 瀬戸内の海は、茜色に染まっていた。 遠く讃岐へ向かう海の彼方を見つめながら、経信は静かに呟いた。 「次郎、三郎。必ず帰ってこい」 数日後、その文は京へ向かった。 兄弟が再び賀茂川の河原に立つ頃、その父の言葉もまた、二人のもとへ届こうとしていた。 ※この物語はフィクションです。

難波一族記【1】~経遠編~ 第十三章 骨肉の裁き

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  13.骨肉の裁き 戦場で母と息子の別れを見届けた翌日、経遠たちのもとへ新たな知らせが届いた。 敗れた上皇方の武士たちに、厳しい処断が下されるという。 その中には、源義朝の父・為義、そして平清盛の叔父・忠正の名もあった。 「……実の父を、か」 経房が低く呟いた。 保元の乱では、為義は崇徳上皇方に、息子の義朝は後白河天皇方に分かれて戦った。 平氏も同じであった。 忠正は上皇方につき、甥の清盛と敵味方に分かれた。 戦場で刃を交えるだけでは終わらない。 敗者となった父や叔父を、今度は勝者となった子や甥が見送らなければならないのである。 「昨日の母御と同じじゃ……」 経房は拳を握った。 「戦が終わっても、残された者が苦しむ」 いつもの経房なら、敵将の名を聞けば武勇の話をしたであろう。 だが今は違った。 経遠は弟の横顔を見つめた。 白河北殿での戦を境に、三郎の中で何かが変わり始めている。 そこへ兼康が歩み寄ってきた。 「二人とも、聞いたか」 「ああ」 経遠が答えた。 兼康も、この日ばかりは豪快に笑わなかった。 「忠正殿は清盛様の叔父御。為義殿は義朝殿の父君……。勝った者とて、何も失わぬわけではないということか」 三人の間に沈黙が落ちた。 やがて経房が口を開いた。 「兄者」 「何じゃ」 「もし、いつか我らが敵味方に分かれたなら……どうする」 経遠は思わず弟を見た。 「縁起でもないことを申すな」 「されど、為義殿と義朝殿も、初めから敵になるつもりではなかったはずじゃ」 その言葉に、経遠は答えられなかった。 遠く備前には父・経信と長兄・経友がいる。 自分には経家がいる。 経房にも経俊がいる。 戦乱が続けば、いつか難波一族にも同じ選択が迫られるかもしれない。 経遠は静かに弟の肩へ手を置いた。 「ならば覚えておこう」 「何を」 「誰に仕えるかより先に、我らが何を守るために太刀を取ったのかを」 経房は兄を見つめた。 兼康が小さく笑った。 「難しいことを申すのう、経遠」 「そうかもしれぬ」 経遠もわずかに笑った。 「だが、難しいからこそ、忘れてはならぬのであろう」 都のどこかで、処刑を告げる使者の馬が走っていた。 保元の乱は終わった。 しかし、その決着は親子を裂き、一族を裂き、勝者の心にも深い傷を残していた。 そして経遠はまだ知らなかった。 この日、弟と交わした言葉を、やがて自ら...

難波一族記【1】~経遠編~ 第十二章 戦場の母

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  12.戦場の母 三人が声のする方へ歩いていくと、陣の門前に一人の老女が立っていた。 「どうされた。誰かをお捜しか」 経房が声をかけると、老女は三人の甲冑を見て、慌てて頭を下げた。 「息子が、昨夜から戻らぬのです。上皇様の御所へ向かったきりで……」 敵方の武士の母であった。 「何か目印はあるか」 「右の眉に小さな傷がございます。袖には、私が縫い付けた青い紐が……」 経房はすぐさま、自らの郎党を呼び寄せた。 「聞いたな! 負傷者を収容した場所を調べよ。見つからねば焼け跡を捜すのだ!」 「はっ!」 数人の郎党が駆け出していった。 「三郎、わしの手勢にも探させよう」 兼康も配下に命じた。 経遠は老女を陣の片隅へ案内し、水を差し出した。 「しばし、こちらでお待ちくだされ」 しかし、老女は腰を下ろそうとしなかった。その手には、小さな布包みが握られていた。 「それは何じゃ?」 経房が尋ねた。 「握り飯でございます。あの子は昔から大飯食らいでしてな。戦から戻れば、腹をすかせておろうと思いまして……」 老女は、かすかに笑った。 経房は言葉を失った。 つい先ほどまで、自らも郎党を率いて敵陣へ斬り込み、幾人もの武士を討ち倒した。その一人ひとりにも、このように帰りを待つ者がいたのであろうか。 やがて、一人の郎党が駆け戻ってきた。 「殿! 青い紐を付けた若武者を見つけました!」 経房は立ち上がった。 「案内せよ!」 経遠と兼康も老女を伴い、白河北殿の焼け跡へ向かった。 崩れた門の傍らに、一人の若武者が横たわっていた。その片袖には、煤に汚れた青い紐が結ばれていた。 「ああ……!」 そして布包みを開くと、握り飯を一つ、息子の傍らに置いた。 経房は、ただ立ち尽くしていた。 兼康も兜を脱ぎ、静かに頭を下げた。 やがて経房は老女の前に膝をついた。 「御子息の亡骸は、我らが責任をもってお運びいたす」 老女は涙に濡れた顔を上げ、深く頭を下げた。 経遠は、弟の背中を見つめていた。 誰よりも先陣を望み、為朝の強弓にも臆さず立ち向かった三郎。その弟が今、一人の母の前で頭を垂れている。 経房は郎党たちに命じ、若武者の亡骸を丁重に運ばせた。 老女は、その後ろをゆっくりと歩いていった。 その手には、もう一つの握り飯が残されていた...

難波一族記【1】~経遠編~ 第十一章 勝者の顔

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  11.勝者の顔 保元元年(一一五六年)七月十一日、京。 白河北殿での戦いを終えた経遠・経房・瀬尾兼康は、それぞれの軍勢を整え、平清盛の陣へと戻った。 陣中には勝鬨が響き、武功を立てた武士たちが互いの働きを称え合っていた。 「経遠! 三郎! 清盛様がお待ちじゃ。参ろうぞ!」 兼康はいつもの豪快な声で二人を呼んだ。 経遠は郎党に負傷者の手当てと戦死者の確認を命じ、経房も自らの手勢をまとめてから兄のもとへ駆け寄った。 「兄者! 我が隊も、ようやく落ち着いたぞ!」 「ご苦労であった。お前の働き、見事であったな」 「何を申す! 兄者の采配があってこそじゃ!」 兼康が二人の肩を叩いた。 「お主ら兄弟は、まったく息が合っておる! わしの兵も負けてはおらなんだぞ!」 三人は顔を見合わせて笑った。 やがて清盛の前に進み出ると、それぞれが戦況を報告した。 経遠は敵の動きと各隊の配置を、経房は前線での攻防を、兼康は自らの軍勢の戦果を伝えた。 清盛は満足げに頷いた。 「三人とも、よくぞ働いた。此度の勝利、そなたらの働きあってこそじゃ!」 「ありがたき幸せにございます!」 三人は深く頭を下げた。 「特に経遠。兵をよく統率し、乱れた戦線を立て直したと聞く。見事な采配であった」 「恐れ入ります。経房と兼康殿、そして郎党たちの働きによるものにございます」 「はっはっは! 経遠は相変わらず謙虚じゃのう!」 兼康が笑うと、清盛も声を上げた。 だが、経遠は続けた。 戦の前には、誰よりも多くの敵を討ち、武功を立てることばかり考えていた。しかし今、その胸には、帰らぬ郎党たちの顔が浮かんでいた。 陣を辞した三人の前には、再び勝利を喜ぶ武士たちの姿が広がっていた。 「経遠。此度の働きで、我らの名もいっそう高まろうぞ!」 兼康が笑った。 「そうじゃな。されど、まずは郎党たちを無事に帰してやらねばなるまい」 経遠の言葉に、兼康は静かに頷いた。 そのとき、陣の外から一人の老女の声が聞こえてきた。 「どなたか、息子を見かけませなんだか……」 経房が足を止めた。 勝利に沸く陣の外では、戦いが終わってもなお、大切な者の帰りを待つ人々がいたのである。 三人は顔を見合わせ、声のする方へ歩き始めた。 ※この物語はフィクションです。

難波一族記【1】~経遠編~ 第十章 保元の乱・戦の代償

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  10.保元の乱・戦の代償 京の空は、夜が明けても赤く染まっていた。 白河北殿の炎がようやく衰えた頃、経遠は郎党たちを集め、戦死者と負傷者の報告を受けていた。 「皆は戻ったか」 「いえ。まだ戻らぬ者がおります」 経遠は厳しい表情を浮かべた。 戦場には、なおも多くの亡骸が横たわっていた。 傍らでは、経房が自らの郎党たちに負傷者の手当てを命じていた。 「おい、しっかりせい! ここまで生き延びたのだ。必ず故郷へ帰るぞ!」 経房の声に、傷ついた武士たちも力なく笑った。 そのとき、兼康が数人の郎党を伴って姿を現した。 いつもの豪快な笑みはなかった。 「経遠。わしの手勢にも、戻らぬ者が出た」 経遠は黙って頷いた。 三人は、焼け落ちた御所を見つめた。 戦いには勝った。 しかし、その勝利の陰には、多くの命が失われていた。 経房は、足元に倒れていた若い武士に目を向けた。 「兄者。この者にも、帰りを待つ家族がおるのであろうな」 「ああ。我らと同じようにな」 経遠は遠く備前の父・経信と長兄・経友、そして屋敷で帰りを待つ経家と経俊の姿を思い浮かべた。 兼康も、静かに口を開いた。 「わしらは侍大将じゃ。兵を率いて戦い、勝利を得た。だが、命を落とした郎党たちを、二度と故郷へ帰してやることはできぬ」 経遠はしばらく黙っていた。 やがて、郎党たちへ命じた。 「討死した者の名を、すべて書き留めておけ。遺された家族には、必ず我らから知らせを届けるのだ」 「はっ!」 経房も立ち上がり、自らの兵たちを見渡した。 「皆、よく戦ってくれた。亡くなった者たちのことは、決して忘れぬ」 兼康は二人を見つめ、ようやく小さく笑った。 「経遠。勝ったというのに、何とも苦いものじゃな」 「ああ。これが戦の代償なのであろう」 三人は、燃え尽きた白河北殿に背を向けた。 やがて経遠が先頭に立ち、郎党たちを率いて陣へと戻り始めた。 経房の一隊がその後に続き、兼康も負傷した配下を気遣いながら馬を進めた。 彼らは勝利した武士であると同時に、多くの者の命を預かる侍大将でもあった。 戦には勝った。 しかし、失われた命まで取り戻すことはできなかった。 ※この物語はフィクションです。

難波一族記【1】~経遠編~ 第九章 保元の乱・火攻め

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  9.保元の乱・火攻め 保元元年七月十一日、早朝。 白河北殿をめぐる戦いは、なおも続いていた。 源為朝の強弓をはじめ、上皇方の頑強な抵抗によって、清盛の軍勢も攻めあぐねていた。 そのとき、義朝が戦局を打開するため、火攻めを進言したという知らせが届いた。 「何と! 御所に火を放つというのか!」 経房が驚きの声を上げた。 「このまま攻め続けても、いたずらに兵を失うばかりじゃ。義朝殿も覚悟を決めたのであろう」 経遠は白河北殿を見据えた。 やがて西隣の藤原家成の邸宅に火が放たれた。 風にあおられた炎は、瞬く間に勢いを増していった。 「おお! 火が上がったぞ!」 兼康が大声を上げた。 経遠はただちに兵の配置を改めた。 「三郎! お前の隊は北門へ続く道を押さえよ! 兼康殿はその側面を頼む!」 「承知! 今度こそ我らの出番じゃ!」 経房は郎党たちに号令をかけ、馬を進めた。 兼康も手勢を率い、敵が反撃に転じるのを防いだ。 やがて炎は白河北殿へと燃え移り、御所から悲鳴と怒号が響き始めた。 「兄者! 女や童まで逃げ惑っておるぞ!」 「武具を持たぬ者には手を出すな! 退路を開けて逃がしてやれ!」 経遠は郎党たちに命じた。 しかし、炎に追われた上皇方の武士たちは、北門へと殺到してきた。 「兼康殿! 敵が来るぞ!」 「任せておけ!」 兼康は自らの軍勢を整え、押し寄せる敵を迎え撃った。 経房もまた、一隊を率いてその側面から攻めかかった。 「者ども、今こそ踏ん張りどころぞ!」 経遠は戦場全体を見渡し、兵の動きを次々と指示した。 三人の軍勢は巧みに連携し、混乱する上皇方の兵たちを押し返していった。 やがて白河北殿は巨大な炎に包まれ、上皇方の軍勢は総崩れとなった。 「経遠! 敵が退いてゆくぞ!」 兼康が叫んだ。 経遠は燃え盛る御所を見据え、静かに頷いた。 「ああ。我らの勝ちだ」 しかし、経遠は勝鬨を上げるよりも先に、郎党たちへ命じた。 「負傷した者を下げよ! 敵を深追いするな!」 三人の率いる軍勢は、それぞれの持ち場を守りながら戦いの終結を迎えた。 燃え盛る御所を背に、経遠は太刀を納めた。 戦いは、ようやく終わろうとしていた。 ※この物語はフィクションです。

難波一族記【1】~経遠編~ 第八章 保元の乱・激戦

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8.保元の乱・激戦 保元元年七月十一日、早朝。 為朝の強弓を前に、平家の軍勢は思うように前進できずにいた。 その様子を見た清盛は、正面からの攻撃を避け、兵を北門へと移すことを決断した。 「兄者! あの為朝を放っておくのか!」 経房が声を上げた。 「馬鹿者! 戦は一人の武者を討つことが目的ではない。清盛公の命に従うぞ!」 経遠は郎党たちに隊列を整えさせ、北門へと軍勢を進めた。 兼康も自らの兵を率い、経遠と並んで進んだ。 「北門は我らで突き崩してくれよう!」 「兼康殿、敵の守りは堅い。まずは弓兵を前へ出すぞ!」 「承知した!」 経遠の指示によって敵の射手を抑えると、兼康は重装の武士たちを率いて前進した。 「者ども、続け! 難波殿に後れを取るな!」 兼康の豪快な号令に、兵たちは勇気づけられた。 経房もまた、自らの一隊を率いて敵の守りの薄い場所を狙った。 「兄者! あそこならば突破できるぞ!」 「よし! 三郎、お前の隊を進めよ。ただし、深追いはするな!」 経房は勇ましく斬り込み、敵の一角を崩した。 しかし、上皇方の抵抗はなおも激しく、北門を完全に突破するには至らなかった。 一方、西門では源義朝が、実の弟である為朝と激しい戦いを繰り広げていた。 「何と! 今度は兄弟同士の戦か!」 経房は驚いた。 「うむ。此度の戦は、まことに恐ろしいものじゃな」 経遠は西門の方角を見つめた。 戦いは長引き、両軍ともに多くの犠牲を出していた。 そのとき、一騎の使者が清盛のもとへ駆け込んできた。 義朝が、この膠着した戦局を打開するため、新たな策を進言したという。 経遠たちのもとにも、その知らせが届こうとしていた。 ※この物語はフィクションです。