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難波一族記【1】~経遠編~ 第六章 保元の乱・夜討ち

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経遠編 第六章 保元の乱・夜討ち ← 前章  第五章 保元の乱・出陣 次章 →  第七章 保元の乱・強弓 保元元年(一一五六年)七月十一日、未明。 京の都は、深い闇に包まれていた。 普段ならば人々が寝静まっている時刻である。 しかし、その夜の京には、無数の馬蹄の音が響いていた。 平清盛の軍勢は二条大路を進み、源義朝の軍勢は大炊御門大路を進んでいた。 目指すは、崇徳上皇方が立てこもる白河北殿。 いよいよ、両軍が刃を交える時が近づいていた。 難波次郎経遠は、馬上から周囲を見渡していた。 暗い道の先には、松明を掲げた兵たちの影が続いている。 「兄者!」 経房が馬を寄せてきた。 「いよいよじゃな!」 「うむ。されど三郎、声を抑えよ」 「何じゃ。戦の前に元気を出してはならぬのか」 経遠は苦笑した。 「敵はこちらの動きを探っておる。何も知らせてやることはあるまい」 経房は笑った。 「相変わらず慎重じゃな、兄者!」 「お前が慎重になれば、わしも少しは安心できるのだがな」 そこへ兼康が馬を寄せてきた。 「おう、次郎殿! 三郎殿!」 その大声に、経遠は思わず振り返った。 「太郎殿!」 「何じゃ!」 「もう少し声を落としてくだされ!」 兼康は豪快に笑った。 「ははは! わしの声で敵が逃げるなら、それもよいではないか!」 経房も笑った。 経遠は小さくため息をついた。 だが、兼康の後ろに続く兵たちの顔を見て、その意図を悟った。 初めて大きな戦に臨む若い武者たちは、皆どこか緊張している。 兼康の豪快な声は、その不安を和らげていたのだ。 経遠は静かにうなずいた。 「太郎殿。此度も頼みますぞ」 「任せておけ!」 三人は馬を並べ、暗い京の道を進んだ。 やがて、前方に白河北殿の屋根が見え始めた。 松明の火が、門を守る上皇方の兵を照らしていた。 経遠は手を上げた。 「止まれ」 郎党たちが足を止めた。 経遠は兵の配置を確かめた。 門の正面には槍を持つ武者。 その後方には弓兵。 さらに、屋敷の内側には予備の兵が控えているようであった。 「……守りが堅いな」 経遠がつぶやいた。 兼康も顔をしかめた。 「正面から押し寄せれば...

難波一族記【1】~経遠編~ 第五章 保元の乱・出陣

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経遠編 第五章 保元の乱・出陣 ← 前章  第四章 保元の乱・前夜 次章 →  第六章 保元の乱・夜討ち 保元元年(一一五六年)七月。 京の都には、ただならぬ緊張が漂っていた。 鳥羽法皇が崩御した後、朝廷の内部にくすぶっていた対立は、もはや隠しようのないものとなっていた。 後白河天皇と崇徳上皇。 さらに、藤原忠通とその弟・頼長。 朝廷を二分する争いは、ついに武者たちをも巻き込もうとしていた。 その日、六波羅では平清盛が侍大将たちを集めていた。 広間には難波次郎経遠、瀬尾太郎兼康をはじめ、平家に仕える武者たちが居並んでいた。 「皆、揃ったな」 清盛の声が響いた。 諸将は一斉に頭を下げた。 「此度の都の騒動、もはや避けられぬところまで来ておる」 清盛は静かに言った。 「崇徳上皇方と後白河天皇方。両陣営に分かれて、刃を交えることとなろう」 広間に重い沈黙が落ちた。 「我ら平家は、帝方に加勢する」 清盛は諸将を見渡した。 「されど、敵方には我が叔父・平忠正殿がおられる」 経遠は顔を上げた。 平忠正は、清盛の父・忠盛の弟である。 同じ平家の血を引く者が、敵味方に分かれるというのだ。 清盛は続けた。 「源氏も同じじゃ。源為義は上皇方につき、その子・義朝は帝方に加わる」 兼康が眉をひそめた。 「親子が敵味方に分かれるとは……」 清盛はうなずいた。 「此度は、そのような戦なのじゃ」 経遠は静かに問いかけた。 「清盛様。上皇方の兵を率いるのは、為義殿にございますか」 「うむ。為義のもとには、幾人もの勇将が集まっておる」 清盛は少し間を置いた。 「なかでも、鎮西八郎為朝という男を侮ってはならぬ」 「鎮西八郎……」 経遠はその名を繰り返した。 「源為義の八男じゃ。若くして九州で武名を高め、並外れた大弓を使うという」 兼康が腕を組んだ。 「ほう。それほどの弓の名手にございますか」 「うむ。戦の働きも尋常ではないと聞く」 経遠は黙って考えた。 為朝という武者については、以前から噂を耳にしていた。 九州で幾度もの戦を経験し、強弓によって敵を寄せつけない若武者。 しかも、実兄の義朝とは敵味方に分かれている。 単なる武勇だけ...

難波一族記【1】~経遠編~ 第四章 保元の乱・前夜

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経遠編 第四章 保元の乱・前夜 ← 前章  第三章 栄華 次章 →  第五章 保元の乱・出陣 保元元年(一一五六年)。 備前国、吉備津彦神社。 吉備の中山には穏やかな風が吹き、社殿を囲む木々が静かに揺れていた。 六十四歳となった難波四郎経信は、屋敷の縁側に座り、京から届いた文を読み終えていた。 かつて自ら船を率いて吉備の海を駆け巡った経信も、今では長男・経友に家業の多くを任せるようになっていた。 「いや、次郎も三郎もよく働いておるのう!」 経信は満足そうに笑った。 「もはやこの海域で、難波に楯突く者は容易には現れまい!」 傍らに控える長男・経友がうなずいた。 「左様にございます。次郎は平家の侍大将として重きをなし、三郎もまた、その勇猛さを認められております」 「うむ。二人を忠盛様へお預けしたのは、間違いではなかった」 経信は遠くの山々を見つめた。 かつて平忠盛の船団が吉備の穴海へ現れた時、難波家は大きな転機を迎えた。 争い続ける道もあった。 しかし、経信は息子たちの将来を考え、平家とともに歩む道を選んだ。 そして今、次郎と三郎は京で武者として働き、難波の名を高めている。 「太郎。お主にも苦労をかけたのう」 「何をおっしゃいます。備前を守るのは、長男である私の務めにございます」 経友は穏やかに答えた。 その時、庭先から声が聞こえた。 「父上! この帳面をご覧くだされ!」 駆け寄ってきたのは、経友の嫡男・経俊であった。 少年の手には、船の荷を記した帳面が握られていた。 「ほう、何を調べておった」 経友が尋ねた。 「本日、船着場へ入った荷を数えておりました。されど、一艘だけ記録と数が合わぬのです」 経友は帳面を受け取った。 「よく気づいたな」 経信も目を細めた。 「なるほど。太郎によく似て、細かなところまで目が届くようじゃ」 経俊は少し照れたように笑った。 「父上や祖父上のように、難波の家を守れる者になりとうございます」 その言葉に、経信は満足そうにうなずいた。 「よい心がけじゃ」 そして孫を近くへ呼んだ。 「経俊。覚えておくがよい。家を守るということは、土地や財を守ることだけではない」 「ほかにもございますか...

難波一族記【1】~経遠編~ 第三章 栄華

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経遠編 第三章 栄華 ← 前章 第二章 出会い 次章 → 第四章 保元の乱・前夜 保延元年(一一三五年)。 平忠盛との出会いは、難波一族の運命を大きく変えた。 吉備の穴海で独自の勢力を築いていた難波家は、平家と争い続けるのではなく、その力を借りて海を守る道を選んだのである。 難波四郎経信は、次男・経遠と三男・経房を忠盛のもとへ遣わすことを決めた。 長男・経友は備前に残り、父とともに吉備津彦神社と一族の家業を守ることとなった。 出立の日。 経信は二人の息子を前にして言った。 「次郎、三郎。お主らには平家のもとで働いてもらう」 経房は得意そうに笑った。 「父上! いよいよ京へ参れるのですな!」 だが経遠は、黙って父の顔を見つめていた。 「父上。難波の船と海は、これからどうなるのでしょうか」 「それを守るために、お主らを遣わすのじゃ」 経信は静かに答えた。 「今までのように、己の力だけで海を押さえ続けることは難しかろう。されど、平家に仕えれば、我らの知恵も船も、さらに大きな力となる」 経遠はうなずいた。 「承知いたしました」 経友が二人に歩み寄った。 「備前のことは案ずるな。父上とわしが守る」 「兄上、頼みましたぞ!」 経房が笑った。 経遠も深く頭を下げた。 「兄上。必ずや難波の名を高めて参ります」 こうして兄弟は、故郷を離れた。 それから五年の歳月が流れた。 保延六年(一一四〇年)。 二十一歳となった経遠は、忠盛のもとで海上の戦働きに携わり、船団の指揮を任されるまでになっていた。 十九歳となった経房もまた、兄とともに数々の戦を経験していた。 「次郎。この航路をどう思う」 平忠盛は海図を広げ、経遠に問いかけた。 経遠は潮の流れを書き込んだ箇所を指した。 「忠盛様。こちらは近道にございますが、潮が速く、船団を大きく動かすには危のうございます」 「では、どうする」 ...

難波一族記【1】~経遠編~ 第二章 出会い

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経遠編 第二章 出会い ← 前章 第一章 起こり 次章 → 第三章 栄華 保延元年(一一三五年)五月。 その夜、吉備の穴海は激しい嵐に包まれていた。 黒い雲が空を覆い、荒れ狂う波が船を次々と飲み込んでゆく。 「船を戻せ!」 誰かが叫んでいた。 しかし、その声は風にかき消された。 一本の帆柱が折れ、波間へ消える。 続いてもう一艘、さらに一艘。 難波の船が、まるで木の葉のように海へ沈んでいった。 「待て! 我が船を沈めるな!」 難波四郎経信は叫んだ。 だが、何もできなかった。 目の前の海が大きくうねり、黒い波が経信へ襲いかかってきた。 「うわあっ!」 経信は寝所で飛び起きた。 額には汗がにじみ、荒い息を繰り返していた。 「……夢か」 しばらくして侍女を呼び、茶を持ってこさせた。 経信は湯気の立つ茶碗を眺めながら、先ほどの夢を思い返していた。 一族の船が沈む夢。 長年、吉備の海に勢力を広げてきた経信にとって、それは何よりも不吉なものであった。 「少々、強引にやりすぎたかのう……」 思わず独り言が漏れた。 難波家は代々吉備津彦神社の神職を務め、吉備の穴海を支配して、海上交通を支えることで大きな富を得ていた。 経信もまた、備前の有力者として、備前目代を務め、近辺を通行する船に強い影響力を及ぼしてきた。 しかし、勢力を広げれば、それに不満を抱く者も増える。 「わしも年を取ったということか……」 経信は苦笑した。 やがて日が昇り、屋敷にはいつもの活気が戻った。 長男の経友は、朝から帳面を広げ、船の出入りと荷の勘定を確かめていた。 一方、経遠と経房はすでに海へ出ていた。 「兄者! 今日はずいぶん潮が速いな!」 経房が船の舳先から叫んだ。 「昨日から風向きが変わっておる。無理に沖へ出るな」 経遠は海面を見ながら答えた。 「何じゃ、兄者。今日は随分と慎重ではないか」 ...

難波一族記【1】~経遠編~ 第一章 起こり

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第一章 起こり ← 前ページ あらすじ・登場人物紹介 次章 → 第二章 出会い 備前国、吉備の中山。 備前と備中の境に横たわるこの山は、古くから人々の信仰を集めてきた。 山の東には吉備津彦神社、西には吉備津神社が鎮座し、ともに大吉備津彦命を祀る由緒ある社として知られている。 かつて、この一帯には吉備と呼ばれる大きな勢力が栄えていた。 温暖な気候と豊かな土地、そして瀬戸内海へ通じる水運に恵まれた吉備は、大和の王権とも深い関わりを持つ地であった。 この地には、古くから一つの伝説が語り継がれている。 温羅と大吉備津彦命の戦いである。 伝説によれば、温羅は吉備の地に勢力を築き、後に鬼ノ城と呼ばれる山城を拠点としていたという。 これに立ち向かったのが、大吉備津彦命であった。 大吉備津彦命は孝霊天皇の皇子とされ、『日本書紀』では崇神天皇の時代に西道へ派遣された四道将軍の一人として記されている。 温羅との戦いは吉備に残る伝説であり、史実のすべてが明らかになっているわけではない。 されど、人々はその物語を語り継ぎ、吉備の中山を神聖な山として崇め続けてきた。 後に吉備国は備前・備中・備後へと分かれ、それぞれの国に吉備津彦命を祀る社が置かれるようになった。 そのうち備前の一宮である吉備津彦神社と深い関わりを持ち、代々この地に根を張ってきた一族があった。 難波一族である。 一族に伝わる系譜によれば、その源流は遠く古代にさかのぼる。 欽明天皇の時代、葛城山田直広主が備前国児島郡に関わる土地の管理を担ったことに始まり、その子・瑞子は田使首の姓を賜ったと伝えられる。 やがて、その末裔とされる田使緒主、田使諸主らの名が系譜に現れ、一族は児島から津高郡へと勢力を広げていったという。 そして田使千世の代に、難波の名を称するようになったと伝わる。 いずれも遠い祖先の物語である。 長い年月のなかで、確かな記録と家に伝わる言い伝えとが重なり合い、一族の歴史を形づくってきた。 それから数百年。 平安の世となっても、難波家はこの地に根を張り続けていた。...

難波一族記【1】~経遠編~ あらすじ/登場人物紹介

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経遠編 難波一族記 あらすじ・登場人物紹介 ← 前ページ はじめに 次章 →  第一章 起こり あらすじ 先祖は田使首で備前児島にて屯倉の田令に命じられるが、やがて備前の中心地に近づき、津高郡に至り吉備の中山の麓に居を構えるようになる。 田令によって築いた富を生かし、一族は船を持ちこの辺りの海域を牛耳っていた。そこに後に天下を治める事となる平家が近づいてくるが果たして。 登場人物紹介 難波次郎経遠 この物語の主人公。難波経信の次男。平家の侍大将として保元の乱、平治の乱で活躍する。冷静な判断力と優れた統率力を持ち、平清盛から厚い信頼を受ける。 弟・経房を指揮するとともに、別の侍大将である瀬尾兼康と協力して戦う。嫡男は経家。 難波三郎経房 難波経信の三男。次兄・経遠と同じく平家に仕える。経遠に仕え、その指揮のもとで自らの郎党を率いる勇猛な武将。 強敵との勝負を好む血気盛んな性格であるが、幾度もの戦を通じて、郎党や家族の命を守る大切さを学んでゆく。嫡男は六郎経俊。 難波太郎経友 難波経信の長男。備前に残り、一族の土地と家業、神社との関わりを守る。温厚で堅実な人物。嫡男は経俊。 難波四郎経信 難波三兄弟の父。備前国で吉備津彦神社との関わりを持ち、海上交通を通じて一族の勢力を築く。平忠盛との出会いを機に、次男・経遠と三男・経房を平家へ仕えさせる。 瀬尾兼康 備中の武士。経遠と共に平家の侍大将として保元の乱、平治の乱で活躍する。豪快で人情に厚く、配下の武者たちからも信頼されている。経遠の盟友であり、経房とも親...