難波一族記【1】~経遠編~ 第二十二章 平治の乱・出陣

22.平治の乱・出陣

夜が明ける頃。

六波羅の空気は、前日までとはまるで違っていた。

主上――二条天皇が六波羅へ入った。

その知らせは、瞬く間に平家の武者たちへ広がっていた。

昨日まで、軽々しく兵を動かすことのできなかった者たちの顔に、今ははっきりと戦う意思が浮かんでいる。

経遠は門前に立ち、集まる郎党たちを見渡していた。

弓。太刀。馬。皆が、それぞれの支度を整えている。

「兄者」

経房が歩み寄ってきた。

その姿はすでに完全な戦支度だった。

「ようやくじゃな」

「ああ」

経遠は短く答えた。

「だが、気を逸らすな」

「分かっておる」

経房はそう答えたが、その目には抑えきれぬ戦意が宿っている。

そこへ、聞き慣れた大声が飛んできた。

「次郎殿!」

瀬尾太郎兼康だった。

後ろには、自らの手勢がずらりと並んでいる。

「太郎殿。もう整えたか」

「当たり前じゃ。待ちくたびれたわ」

兼康が笑う。

「兵どもも、今か今かと待っておる」

経房が口元を上げた。

「それは俺も同じじゃ」

「三郎、お主は少し待つことを覚えた方がよいぞ」

「太郎殿にだけは言われたくないわ」

二人が睨み合い、すぐに笑った。

経遠はそんな二人を横目に見ながら、門の向こうへ視線を移した。

やがて、平清盛が姿を現した。

その傍らには、長男・重盛がいる。

武者たちの声が止まった。

清盛は集まった兵を見渡した。

「主上はすでに六波羅にお入りになった。もはや我らが退く理由はない」

低い声にざわめきが広がる。

清盛は続けた。

「信頼、義朝らは都を乱し、主上を押さえて政を奪った」

そして一度、言葉を切る。

「これより、その兵を退ける」

武者たちの表情が一斉に引き締まった。

「重盛」

「はっ」

「先陣を任せる」

重盛は深く頭を下げた。

「承知いたしました」

次に、清盛の視線が経遠へ向く。

「次郎」

「はっ」

「敵の動きを見よ。兵を乱すな。重盛を支えよ」

「承知いたしました」

「太郎」

「はっ!」

「お前は自らの手勢を率い、次郎と歩調を合わせよ」

兼康が力強く頷いた。

「お任せあれ」

そして清盛は経房を見る。

「三郎」

「はっ」

経房の声が低くなる。

「お前は次郎の命を待て」

経房は一瞬だけ目を細めた。

だが、すぐに頭を下げる。

「承知いたしました」

清盛はその様子を見て、わずかに口元を緩めた。

「敵陣を破る時が来れば、お前の出番じゃ」

経房が顔を上げる。

「その時は――」

清盛が言う。

「存分に暴れよ」

経房の口元が大きく上がった。

「はっ!」

清盛が去ると、経遠は弟を見る。

「三郎」

「何じゃ、兄者」

「わしが合図するまで出るな」

経房は兄をまっすぐ見た。

そして、静かに頷いた。

「分かっておる」

少し間を置いてから続ける。

「兄者が『行け』と言う時が、一番間違いがないからな」

経遠は何も言わなかった。

ただ、わずかに頷いた。

やがて六波羅の門が開く。

冬の冷たい風が吹き込んだ。

先頭を進むのは重盛の軍勢。

その後ろから、経遠の郎党たちが動き始める。

少し離れて、兼康も自らの手勢へ号令を飛ばした。

「者ども! 遅れるな!」

鬨の声が響く。

経房も馬へ跨がった。

背後には、自らを慕う郎党たちが並んでいる。

経遠が馬を進めた。

「行くぞ」

「おう、兄者!」

六波羅を出た平家の軍勢は、都の中心へ向かって進んでいった。

その先には、源義朝の軍勢が待っている。

そしてその中には。

源義朝の長男――源義平。

後に「鎌倉悪源太」と呼ばれる猛将がいた。

経遠たちは、まだその凄まじさを知らない。

平治の乱。

本当の戦いが、いま始まろうとしていた。

※この物語は史実をもとにしたフィクションです。

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