難波一族記【1】~経遠編~ 第十二章 戦場の母
12.戦場の母
三人が声のする方へ歩いていくと、陣の門前に一人の老女が立っていた。
「どうされた。誰かをお捜しか」
経房が声をかけると、老女は三人の甲冑を見て、慌てて頭を下げた。
「息子が、昨夜から戻らぬのです。上皇様の御所へ向かったきりで……」
敵方の武士の母であった。
「何か目印はあるか」
「右の眉に小さな傷がございます。袖には、私が縫い付けた青い紐が……」
経房はすぐさま、自らの郎党を呼び寄せた。
「聞いたな! 負傷者を収容した場所を調べよ。見つからねば焼け跡を捜すのだ!」
「はっ!」
数人の郎党が駆け出していった。
「三郎、わしの手勢にも探させよう」
兼康も配下に命じた。
経遠は老女を陣の片隅へ案内し、水を差し出した。
「しばし、こちらでお待ちくだされ」
しかし、老女は腰を下ろそうとしなかった。その手には、小さな布包みが握られていた。
「それは何じゃ?」
経房が尋ねた。
「握り飯でございます。あの子は昔から大飯食らいでしてな。戦から戻れば、腹をすかせておろうと思いまして……」
老女は、かすかに笑った。
経房は言葉を失った。
つい先ほどまで、自らも郎党を率いて敵陣へ斬り込み、幾人もの武士を討ち倒した。その一人ひとりにも、このように帰りを待つ者がいたのであろうか。
やがて、一人の郎党が駆け戻ってきた。
「殿! 青い紐を付けた若武者を見つけました!」
経房は立ち上がった。
「案内せよ!」
経遠と兼康も老女を伴い、白河北殿の焼け跡へ向かった。
崩れた門の傍らに、一人の若武者が横たわっていた。その片袖には、煤に汚れた青い紐が結ばれていた。
「ああ……!」
そして布包みを開くと、握り飯を一つ、息子の傍らに置いた。
経房は、ただ立ち尽くしていた。
兼康も兜を脱ぎ、静かに頭を下げた。
やがて経房は老女の前に膝をついた。
「御子息の亡骸は、我らが責任をもってお運びいたす」
老女は涙に濡れた顔を上げ、深く頭を下げた。
経遠は、弟の背中を見つめていた。
誰よりも先陣を望み、為朝の強弓にも臆さず立ち向かった三郎。その弟が今、一人の母の前で頭を垂れている。
経房は郎党たちに命じ、若武者の亡骸を丁重に運ばせた。
老女は、その後ろをゆっくりと歩いていった。
その手には、もう一つの握り飯が残されていた。
「兄者……」
経房は、去りゆく老女の背中を見つめたまま呟いた。
「戦とは、何ともむごいものじゃな」
経遠は、弟の肩にそっと手を置いた。
しかし、兄弟が目にした悲劇は、これだけでは終わらなかった。
戦場で敵味方に分かれた者たちの中には、父と子、叔父と甥もいた。
そして今、敗れた者たちに対する厳しい裁きが下されようとしていた。

コメント
コメントを投稿