難波一族記【1】~経遠編~ 第二十五章 平治の乱・双将と荒武者
25.平治の乱・双将と荒武者
平治元年(一一五九年)十二月二十六日。
六波羅をめぐる戦いは、なお激しさを増していた。
源氏の白旗と平家の赤旗が入り乱れ、馬のいななきと武者たちの怒号が京の空に響き渡る。
その戦場に、ひときわ鋭い鬨の声が上がった。
「鎌倉悪源太義平、ここにあり! 平家の武者ども、我が太刀を受けてみよ!」
源義朝の嫡男、源義平であった。
若くして数々の戦を経験し、武勇を天下に知らしめた荒武者。その太刀の勢いは凄まじく、平家の兵たちは次々と押し返されていた。
その姿を見つめる武者がいた。
難波三郎経房である。
「兄者。あれが悪源太じゃ」
経房は太刀の柄を握り直した。
「待賢門でも見たが、やはり尋常な武者ではない」
隣にいた経遠は静かにうなずいた。
「うむ。あの若さで兵を率い、自ら先陣を切る。義朝殿の嫡男というだけではあるまい」
「ならば、なおさら相手に不足はない!」
経房の目が鋭く光った。
「三郎、待て」
経遠が声をかけた。
「敵は一人ではない。義平の後ろには精兵が続いておる。武勇だけを頼みに進めば、取り囲まれるぞ」
「承知しておる、兄者」
経房は振り返った。
「されど、あの男を放ってはおけぬ」
経遠は弟の顔を見つめた。
保元の乱以来、幾度もの戦をともにしてきた。
その中で経房は、ただ敵を討つことに喜びを見いだす若武者ではなくなっていた。
戦場で失われる命の重さを知り、それでもなお太刀を取る覚悟を身につけていた。
「よかろう。だが、無理はするな」
「兄者こそ、俺の働きをよく見ておれ!」
経房は馬を駆った。
「難波三郎経房、参る!」
その声に、義平が振り向いた。
「ほう。平家にも威勢のよい武者がおるわ!」
義平は馬上で太刀を構えた。
「名を申せ!」
「備前の武者、難波三郎経房!」
「難波三郎か。覚えておこう!」
二人の馬が激しく駆け寄った。
鋭い金属音が響く。
経房の太刀と義平の太刀が、真正面からぶつかった。
「ぬうっ!」
経房は思わず息をのんだ。
重い。
ただ力任せに振るう太刀ではない。
速さと鋭さ、そして迷いのない一撃。
義平はさらに太刀を振るった。
「どうした、難波三郎! その程度か!」
「まだまだ!」
経房は受け流し、すかさず反撃した。
今度は義平がわずかに馬を引いた。
「ほう!」
義平の口元に笑みが浮かぶ。
「なかなかやるではないか!」
「そなたこそ、噂に違わぬ武者よ!」
二人の太刀は幾度も交わされた。
互いの甲冑に火花が散り、馬が激しく身を翻す。
周囲の兵たちは、その凄まじい戦いに容易には近づけなかった。
だが、義平の後方から源氏の兵が動き始めていた。
経房の側面を突こうとしていたのである。
「三郎、危うい!」
離れた場所から戦況を見ていた経遠が叫んだ。
その時、瀬尾兼康が兵を率いて駆けつけた。
「三郎殿! 背後はわしが引き受けた!」
兼康は長刀を振るい、迫る源氏の兵を押し返した。
「太郎殿、かたじけない!」
「礼は後じゃ! 今は目の前の敵に集中されよ!」
兼康の豪快な声が響いた。
一方、経遠は戦場全体を見渡していた。
義平の武勇は確かに恐るべきものであった。
しかし、その進撃には一つの危うさがあった。
義平自身の勢いに、後続の兵が追いついていないのである。
「今じゃ」
経遠は郎党に命じた。
「左右の兵を前へ出せ。敵の後続を抑えよ。ただし、深追いは無用じゃ」
「はっ!」
郎党たちが動き始めた。
経遠は義平を直接討とうとはしなかった。
その周囲の兵を分断し、進撃の勢いを削ぐ。
義平ほどの武者を力で押し返すのは容易ではない。
ならば、軍勢としての働きを封じればよい。
それが経遠の判断であった。
やがて義平も、周囲の異変に気づいた。
「むっ……」
振り返ると、後続の兵が平家の軍勢に進路を阻まれていた。
「なるほど」
義平は経房との間合いを取り、遠くの経遠を見た。
「あの武者の差配か」
経房が答えた。
「我が兄、難波次郎経遠じゃ」
「ほう。そなたの兄か」
義平は鋭く目を細めた。
「弟は太刀、兄は軍略というわけか」
「いかにも!」
経房は胸を張った。
「難波の兄弟、二人そろえば容易には負けぬぞ!」
義平は声を上げて笑った。
「面白い!」
そして再び太刀を構えた。
「ならば、その兄弟の武勇、とくと見せてもらおう!」
義平が馬を駆った。
今度の一撃は、先ほどまでとは違っていた。
低く構えた太刀が、経房の脇を鋭く襲う。
「くっ!」
経房は辛うじて受け止めた。
衝撃が腕を走り、馬が大きくよろめいた。
義平は間髪を入れずに攻め込んだ。
「どうした!」
「まだじゃ!」
経房も負けじと太刀を振るった。
その一撃が義平の肩をかすめ、甲冑の緒を断った。
義平の表情が変わった。
「見事!」
義平は馬を引き、経房を見据えた。
「難波三郎。そなたの名、確かに覚えたぞ」
経房も荒い息を整えた。
「鎌倉悪源太。そなたの太刀も忘れぬ」
二人の間に、わずかな静寂が生まれた。
その時であった。
「三郎!」
経遠の声が響いた。
源氏の別働隊が、経房の後方へ回り込もうとしていた。
経遠は自ら兵を率い、その進路を遮った。
「ここから先へは通さぬ!」
経遠の号令に、平家の兵が槍を並べた。
源氏の兵たちは足を止めざるを得なかった。
義平はその動きを見つめた。
「なるほど。難波次郎とは、よく戦を知る男よ」
経遠も義平を見返した。
「鎌倉悪源太。そなたの武勇、まことに見事」
「ならば道を開けよ!」
「それはできぬ」
経遠は静かに答えた。
「我らにも、守るべきものがある」
義平の目が鋭くなった。
「我ら源氏にもある!」
その言葉に、経遠は一瞬だけ黙った。
敵もまた、己の信じるもののために太刀を振るっている。
それは保元の乱以来、経遠が幾度となく見てきた武者たちの姿であった。
だが、だからといって道を譲るわけにはいかない。
「三郎、兵をまとめよ!」
「承知!」
経房は太刀を掲げた。
「難波の者ども、退くぞ! 陣を崩すな!」
経房の声に、郎党たちが整然と動いた。
兼康も周囲の兵をまとめながら、経遠のもとへ馬を寄せた。
「次郎殿。あの悪源太、まことに恐ろしい武者ですな」
「うむ」
経遠はうなずいた。
「だが、三郎もよく持ちこたえた」
兼康は笑った。
「持ちこたえたどころか、まだ戦いたそうな顔をしておりますぞ!」
振り返ると、経房は義平の方角をにらんでいた。
「兄者。今一度、あの男と勝負したい」
「機会はあるやもしれぬ」
経遠は答えた。
「だが、今日は我らの勝負だけで終わる戦ではない」
その言葉に、経房はようやく太刀を鞘へ納めた。
遠くでは、なお源氏と平家の軍勢が激しくぶつかり合っていた。
やがて義平も、父・義朝の軍勢へ合流するため馬を返した。
その直前、義平は一度だけ振り返った。
難波兄弟の姿が、夕暮れの戦場に浮かんでいた。
「難波次郎、難波三郎……」
義平は小さくつぶやいた。
「いずれまた、相まみえようぞ」
そして馬を駆った。
経房もまた、その背を見送っていた。
「兄者」
「何じゃ」
「あの男とは、これで終わりとは思えぬ」
経遠は静かに答えた。
「わしもそう思う」
夕陽が京の空を赤く染めていた。
六波羅をめぐる戦いは、なお続いている。
平家と源氏。
勝つ者と敗れる者。
その運命が定まろうとする中で、難波兄弟と鎌倉悪源太の間には、新たな因縁が生まれていた。
この日の戦いが、やがて再び三人を引き合わせることになるとは、まだ誰も知らなかった。

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