難波一族記【1】~経遠編~ 第十五章 河原の兄弟
15.河原の兄弟
数日後。
賀茂川の河原に、二人の男が並んで座っていた。
経遠と経房である。
保元の乱が終わってからしばらく経ったが、都の空気はまだ重かった。
戦場となった場所には焼け跡が残り、敗者への処断も続いている。
川の流れだけが、何事もなかったかのように静かに京を流れていた。
「兄者」
経房が小石を拾い、川へ投げた。
水面を二度、三度と跳ねて沈んでいく。
「戦というものは、勝てばもっと気分のよいものだと思っておった」
経遠は何も答えなかった。
経房はもう一つ、小石を投げた。
「鎮西八郎(為朝)と戦っておった時は、何も考えなんだ。ただ敵を倒すことだけで頭がいっぱいでな」
「お前らしい」
経遠が小さく笑った。
そのときだった。
一人の郎党が河原へ駆けてきた。
「殿! 備前より文が届いております!」
経遠が振り返る。
「父上からか」
「はい」
経遠は文を受け取った。
封を開く。
そこには、父・経信の言葉を長兄・経友が書き記していた。
――戦に勝ったことは喜ばしい。
経房が兄の肩越しに文を覗き込む。
「何と?」
「待て。今読んでおる」
経遠は続けた。
――されど、勝ったからとて驕るな。
「いかにも父上らしい」
経房が呟くと経遠の口元にも、わずかな笑みが浮かんだ。
しかし、その次の一文を読んだとき、その表情が変わった。
――何があろうとも、難波の家には帰る場所がある。
経遠と経房はしばらく、その文字を見つめていた。
川のせせらぎだけが聞こえる。
やがて経房が口を開いた。
「太郎兄上も、備前で父上とともに家を守り、社を守り、土地を守っておる」
経遠は文を丁寧に畳んだ。
「我らが京で太刀を振るっておる間もな」
経房は川の向こうを眺めた。
「昔は、太郎兄上が家に残るのを、少し退屈そうだと思っておった」
「三郎」
経歴遠に咎められ経房が苦笑しながら続ける。
「今は違う。帰る場所を守る者がおらねば、我らは帰ることさえできぬ」
経遠は弟を見た。
保元の乱を経て、経房は少し変わった。
相変わらず喧嘩早く、誰よりも前へ出たがる。
だが、ただ敵を倒すだけではなく、その向こうにいる人間を見るようになっていた。
「太刀を振るう者だけが、家を守るのではない」
経遠が言った。
経房は頷いた。
「ならば兄者」
「何じゃ」
「俺たちは俺たちの務めを果たそう」
経遠は弟を見つめた。
「そうじゃな」
二人は立ち上がった。
夕日が賀茂川を赤く染めていた。
備前では、経信と経友が難波の家を守る。
京では、経遠と経房が武士として生きる。
それぞれの道は違っていた。
だが、そのすべてが一つの家へとつながっていた。
このとき兄弟はまだ知らなかった。
保元の乱からわずか三年後。
京が再び炎に包まれることを。
そして次の戦では、経遠が多くの郎党を動かす侍大将として、経房がその前線を切り裂く荒武者として、さらに大きな戦へ身を投じることになることを――。

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